日々更新中

Just another nama blog site

未分類

the 21st anniversary of wedding

21年前の今日、山中湖の教会で結婚式をあげました。梅雨の合間のめちゃくちゃ暑い日だったのを覚えています。

今日は結婚記念日でしたが、特別な事はなにもしてないし、プレゼントも用意してません。。ついつい「忙しいから。。」って言葉で片付けちゃって。。
21年間きっこにはずっと助けられてきました。ちょっとその21年間を振り返ってみたいと思います。
長いから興味ない人はここで終了!

さてさて、21年前の結婚式は実は私が社会人になったその年でした。
大学卒業して社会人1年生になって2ヶ月で結婚。当時私は某大企業のサラリーマン。「安定」はあったかもしれないけどけっこうな安月給だったよなぁ~
社会人1年生だから蓄えもほとんど無し。結婚費用や新婚旅行の費用は付き合っていた時から月々少しづつ貯蓄して貯めたっけ。
貯金ゼロの安月給で始まった結婚生活はけして楽じゃなかったけど、でも愛するきっこといつも一緒にいられて幸せでした。
子供はすぐに欲しかったけどなかなかそうはいかず夫婦ふたりして不妊治療に通ったり。。
結婚2年目で無事妊娠できてよかったけど、その2年だけでさえ真剣に悩んだものでした。
結婚報道があると「お子さんのご予定は?」とかすぐに無神経な質問をするアホレポータとか、「孫の顔を早く見せてもらいたいわ」とか平気で言う姑とかを見るとお嫁さんに同情しちゃいます。話が脱線。
咲が産まれたのが92年7月。相変わらず安月給。毎日決められた時間だけ会社に行ってれば決まった額だけお金がもらえるサラリーマン。どう考えてもあのジジイより俺の方が10倍仕事してるのにジジの方が俺よりたくさん給料もらってる不条理さ。自身の保身しか考えてない上司。もうそんなこと全てが嫌になってこの会社を辞めたのが入社4年目だったかな。
ちょうど知り合いが組み込みエンジニアを探していたのも同時期。しかも医療機器。実は私は大学で生物電子研究室というとこで研究してたんでちょーどマッチしたんです。
ただ、大企業にいる安定を取るか、先行き不安だけどやりたい事をやるか、、これは本当に悩んだ。
そんな時に、背中を押してくれたのがきっこ。本当は不安があったんだろうな。でもそんなことは表には出さず「亮のやりたい事をやればいいじゃん。私は何処へでもついて行くから」って。

きっこのこの一言で行った会社は医療機器のベンチャー企業。ここでは商品企画から調査、研究、開発、製品化から営業までほんと何でもやっていた。
元々はハードウェアエンジニア。与えられた仕様で設計すればよかったんだけど、これからは全部自分で決める!いろんな学会に参加、マーケティング調査し売れそうなモノを考えてプレゼン。興味を持ってくれた大学病院と共同研究、スイスの医療機器メーカーと合同開発、試作品ができたら治験に学会発表、扱ってくれる販社を探して商品説明。。薬事法で点数付けてもらえる様に厚生省にも働きかけたり。。パンフレット撮影のモデルまでやったなぁ(苦笑
ハード設計は勿論自分でやって、ファームも結局自分、PCによるデータ解析ソフトの開発も結局自分。。俺がやらなかったのは筐体設計ぐらいかな。
無事商品化できて販路も決まったら売り込みの為に全国行脚、学会や展示会、大小の病院まわりとほんと大忙しだった。。
そんな間に二人目の娘、芽依が誕生。「子供が欲しい」って焦ってる時はなかなかできないのに、「そろそろ二人目ほしいね」って思ったらすぐできちゃった。何事も焦っちゃだめなのね。
この会社に居たのは3年間だったけどほんと忙しかったなぁ。。
咲が2~5歳ぐらい、芽依が0~3歳ぐらいの間ほんとなにもかまってあげられなくてごめんね。
そしてその間ずっと子供たちをしっかり育ててくれたきっこに感謝してます。ありがとう。

まあこの間、それなりの仕事をしてそれなりの成果あげて会社には貢献してたんで、まあそれなりの報酬をいただいてました。30歳にして自己資金のみで一戸建てを購入できたのもそのおかげ。
自分で働いた分だけお金がもらえる。これはほんと転職してよかったと思いました。ただ、きっこやさきやめいにはさみしい思いをさせちゃったかな。。
いつだか咲が「お父さん今度いつ帰ってくるの?」って言った事がありました。これじゃいけないよなぁ。。
この会社で大きなプロジェクトの2つを成功させ、その他いくつかのプロジェクトを無事軌道にのせた後にこの会社もやめる事にしました。
会社勤めをやめてフリーランスになる道を選んだのです。
この時もきっこが背中を押してくれました。「亮ならできるよ。大丈夫、なんとかなるから」って。正直すごい不安だったと思う。なのに俺を信じてくれたきっこに感謝してます。

個人事業というのは厳しい世界でした。
いくら実績があっても、名前が売れていても、それは「○○会社の生山さん」。「○○会社」がなくなったらとたんに仕事くれなくなります。
「やめてフリーランスになるんです」って挨拶しに行ったときは誰もが「生山さんに仕事頼むから」って言ってくれたのに。。。
最初はその辞めた会社から手がけていたプロジェクトの続きみたいな感じで仕事があったけど、その仕事が終わったらもう次はナシ。
ひと月仕事無しとかしょっちゅうでした。蓄えなんてあっという間になくなってしまいます。
この時も本当にきっこには心配かけました。そんな時期、俺を信じてずっとずっと見守ってくれてて。。ありがとう。。

軌道に乗り始めたのはフリーになった後に知り合ったクライアントさんと仕事をするようになってから。
つまり「フリーランスの生山」を信頼して仕事を出してくれるとこが出来てからです。ネームバリューって築くの大変ですね。。

その後はまあ順調に仕事は上向き、子供も成長し、現在に至るって感じです。

。。正直言うと、その順調に上向いた後に大事件があったんですけど、、おそらく生山亮の人生最大の危機だったと思います。
悪く考えずに「人生最大の転機」だったということに思うようにしています。この件については詳しくは内緒ということで。。。。

って書くとその時も俺を支えてくれたのはきっこだったなぁ。。。

結婚してから21年間、常に、本当にいつも俺の事を見守って、信じて、助けてくれているきっこに心から感謝します。
ありがとうきっこ。そしてこれからもずーっとずーっとそばにいてね。

※なんか公開ラブレターみたいになっちゃった。「公開」ボタンをクリックするの照れくさいなぁ。。。